市の歴史・文化ゆかりの地

最終更新日 2023年11月27日

情報発信元 花筐公民館

粟田部地区の概要

PAGE-ID:2557

タイトル(現状)

令和5年5月1日現在粟田部地区航空写真
地区面積 2.99平方キロメートル 
世帯数1,254世帯
人口3,389人
8行政区
(西樫尾区・西山区・栄区・宝栄区・蓬莱区・富永区・鞍谷区・旭区)
こども園1箇所(認定こども園あわたべ)
小学校1校(花筐小学校)
地区公民館1箇所(花筐公民館)
集落公民館1箇所(うすずみ会館)

タイトル(地理)

越前市東部のほぼ中央に位置し、北は南中山地区、南は味真野地区、東は岡本地区、西は北新庄地区に接する。
東西に国道417号と県道武生美山線が通り、南北に鞍谷川が流れる。北西部には自然豊かな三里山を有する。
越前市街や鯖江市街にも近く、北陸自動車道武生インタ-と鯖江インタ-の中間に位置する。
県都福井市へも車で30分程で行ける地理的状況にある。

タイトル(沿革)

藩政時代は福井藩の枢主的地域として発展し、藩札両替分所が置かれ、羽二重など商業・工業の先進地として栄える。
明治期はいり、県の郡役所が設置され、南越地方の重要な役割を果たす。大正15年に町制が施行され粟田部町となる。
昭和29年には北新庄村西樫尾村を編入し、翌年、南中山村、服間村、1956年(昭和31年)岡本村をも合併し、今立町が誕生。
粟田部地区は今立町の政治と産業の中心として栄えてきた。
2005年(平成17年)10月1日に、旧武生市と合併して越前市となり、市東部の中核を成す。

タイトル(地名)

継体天皇はご即位前のお名を男大迹王子と申され、永くこの里にお住まいになっておられた。
その王子の名にあやかって、この里を「男大迹の里」と呼ぶようになったが、養老2年(718)僧の泰澄大師がこの里にお越しの折、王子のお名と同音の地名では恐れ多いというので、粟田部と名付けられたといわれている。

タイトル(史跡他)

花筐公園薄墨桜 皇子ヶ池 名勝花筐公園碑
花筐(はながたみ)ゆかり地碑 蘇我倉山田石川麻呂廟 坪田孫助翁碑 恵迪斎跡碑ほか
粟田部史跡ガイド-2版(PDF形式 1,251キロバイト)
花筐公園と薄墨桜についての詳細はこちら→名勝花筐公園と薄墨桜
蓬莱祀(2月11日 継体天皇が河内国樟葉宮で即位された吉日で、天皇の行幸に擬して神幸の儀を厳粛に行式典。)
蓬莱祀注釈(PDF形式 111キロバイト)
迹王の餅(10月13日 継体天皇が大和国盤余玉穂宮に遷都された日を祝して、迹王の餅を供する神事として、1,500年受け継がれている。)
堂の餅注釈(PDF形式 63キロバイト)

タイトル(偉人)

坪田孫助 略記坪田孫助略記(PDF形式 123キロバイト)(記:福井県立大学地域経済研究所教授 奥山秀範氏)
石碑坪田孫助翁碑(PDF形式 65キロバイト)(粟田部史跡ガイドブックより抜粋)
渡辺莱渚 今立が生んだ日本画の巨星渡辺莱渚略記(PDF形式 1,511キロバイト)(今立歴史民俗資料館発行より抜粋)
嶋連太郎 印刷業黎明期の先覚者、花筐文庫(嶋会館)を創設嶋連太郎略歴(PDF形式 1,011キロバイト)(今立歴史民俗資料館パンフより抜粋)

 

  • X(旧Twitter)
  • Facebook
  • Line
  • Youtube

印刷

情報発信元 教育委員会事務局 花筐公民館

受付時間
火曜から日曜の午前9時から午後6時まで(月曜休館)