文化財

最終更新日 2023年11月27日

情報発信元 花筐公民館

名勝花筐公園と薄墨桜

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タイトル(公園由来)

能楽の祖観阿弥の子、世阿弥作の謡曲「花筐」のゆかりの地として名づけられる。花筐後援桜1
継体天皇と照日の前との恋物語を著した「花筐(はながたみ)」は粟田部の歴史の象徴であり、代名詞である。
弘化元年(1,844)粟田部の関甚兵衛が、大和国吉野より数十本の桜を現在地に移植し、桜ヶ丘と呼んだのが花筐公園の始まりといわれている。明治28年岡太神社本田は以後が山崩れに遭い、その後整地の上、桜を植えて現在の上段が完成し、初期の花筐公園の姿となり、その後数度の改良工事を経て昭和初期には県内屈指の桜の名所となる。昭和37年には都市公園整備計画の指定を受け、昭和49年には第2時5ヶ年整備計画事業により、風致公園を受ける。現在は春と秋に花筐公園を愛する日を設け、公園の奉仕作業に地域住民が大勢参加している。平成19年には国の登録記念物に登録され、地元の公園の保全に熱心に活動している花筐公園保勝会や地域住民にとってこの上のない朗報となる。

タイトル(名所)

公園内には、1,000本を超える桜や紅葉があり、春は桜、秋は紅葉の名所として花筐公園紅葉1
県内外から大勢の観光客が訪れている。
見ごろの時期に合わせて、地元の花筐自治振興会が、春は「はながたみまつり」、秋は「はながたみもみじまつり」を開催し、さまざまなイベントを行っている。
また、期間中にはライトアップもあり、幽玄な美しさと幻想的な雰囲気を感じさせている。

タイトル(薄墨桜)

花筐公園より北西側に位置する南三里山山頂皇谷の地にあり、薄墨桜1
樹回り4.5メートル、幹回り9メートル、樹齢500から600年を有し、
昭和45年に県より天然記念物として指定を受けている。
伝えによると継体天皇が男大迹皇子の頃、この地に住まわれていて、
即位のため都に上る際に形見として残されたといわれている。
公園より通ずる琴弾山展望台より歩いて約20分を要する。

タイトル(散策)

公園にはいくつかの散策コースがあり、桜や紅葉を鑑賞しながら、継体天皇を祭神とする式内社「岡太神社」、継体天皇の子、安閑、宣化両天皇が産湯に使ったといわれる「皇子ヶ池」、野口雨情ゆかりの「山月楼亭」、宝生流第17世宝生九郎筆による「花筐ゆかりの地碑」など史跡めぐりができる。

 

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