最終更新日 2024年6月12日
越前国府発掘プロジェクトについて
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越前国府発掘プロジェクトについて
お知らせ
出土品洗浄・接合体験+VR体験会
令和5年度の調査成果
各遺構の説明
溝1 平安時代前期(9世紀ごろ)
溝2 平安時代前期(9世紀ごろ)
柱穴1 平安時代
直径60㎝の柱穴。建物を建てる際、柱を設置するために掘られた穴の跡です。柱穴の中からは土師器や須恵器の小片が出土しています。
写真3 柱穴1の検出状況
土坑1(中世)
長辺150㎝、短辺76㎝、深さ98㎝の土坑。用途は不明ですが、土坑の埋土からは灯明皿が10枚以上重なった状態で出土しています。出土した灯明皿の多くは、ほぼ形を残した状態のものでした。縁には灯心を燃やした際に付着した煤が付着しています。
写真4 灯明皿出土状況
出土遺物
~平安時代の遺物~
緑釉陶器
鉛を釉薬として用いた緑色の陶器です。当時は高級食器として扱われ、貴族や役人などの限られた人のみ使うことができました。生産地も近江や京都、東海など限られた場所でしか生産されていませんでした。緑釉陶器が出土したということは、近くで国府に関係する役人が生活をしていたのかもしれません。
今回の発掘調査では椀や皿、三足盤などの器種が出土しました。特に三足盤は、色味やそのほかの特徴などから猿投窯(愛知県)で生産されたものと思われます。
写真5 三足盤(上から)
写真6 三足盤(横から)突起部分は脚部。
須恵器
古墳時代(5世紀前半)に朝鮮半島から日本に伝わり、平安時代まで使われた灰色の陶質土器。土師器とは異なり、登り窯を使い、約1,100度の高温で還元炎焼成されているため、硬くて丈夫といった特徴があります。平安時代には庶民から貴族にまで広く使われていました。椀や皿、壺、甕、杯、蓋などの日常雑器として使われていた器種のほか、硯などもあります。
写真7 須恵器(杯と蓋)
墨書土器
墨で文字が書かれた土器を墨書土器といいます。墨書土器の多くは土地や人、役職、建物の場所の名前が書かれています。令和5年の発掘調査では、墨書土器が1点出土しています。しかし、破片での出土のため文字の判読はできませんでした。
当時は文字を書くことのできたのは、寺関係の人や役人など限られた人だけだったため、発掘調査現場の近くでは、平安時代に役人が生活していたかもしれません。
写真8 墨書土器(※赤線の部分に墨で文字が書かれている。)亻(にんべん)の一部にもみえます。