越前国府

最終更新日 2024年2月22日

情報発信元 生涯学習・芸術文化課

越前国府発掘プロジェクトについて

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越前国府発掘プロジェクトについて

 越前市では、令和5年度から5か年計画で越前国府の所在地解明に向けた発掘調査を開始しました。
 令和5年度は越前国府の国衙有力地とされている本興寺境内で発掘調査を行いました。
 

令和5年度の調査成果

調査場所:本興寺境内(国府一丁目地係)
調査期間:令和5年9月1日から11月30日まで
主な遺構:平安時代…溝、柱穴、土坑
     中世…土坑
     近世…井戸
全景写真
写真1 発掘現場全景写真 (令和5年11月22日撮影)右が北
   (線で囲まれている部分は、主要な遺構を示しています。赤線は平安時代、青色は中世、水色は近世以降の遺構)
 

各遺構の説明

溝1 平安時代前期(9世紀ごろ)

深さ70㎝、幅2m50cmの溝。溝の埋土から、緑釉陶器や須恵器、土師器が出土しており、遺物の特徴から平安時代前期の溝と思われます。溝の規模から、国府関連施設の区画溝と考えられます。
 
 

溝2 平安時代前期(9世紀ごろ)

深さ25㎝、幅65㎝の溝。溝の西側に遺物が集中しており、緑釉陶器や須恵器、土師器が出土しています。特に緑釉陶器は、三足盤と呼ばれる珍しい器種が出土しています。
 
溝1、2写真2 溝1、溝2検出状況(右が溝1、左が溝2)右が北
 

柱穴1 平安時代

直径60㎝の柱穴。建物を建てる際、柱を設置するために掘られた穴の跡です。柱穴の中からは土師器や須恵器の小片が出土しています。

 

柱穴

写真3 柱穴1の検出状況

 

土坑1(中世)

長辺150㎝、短辺76㎝、深さ98㎝の土坑。用途は不明ですが、土坑の埋土からは灯明皿が10枚以上重なった状態で出土しています。出土した灯明皿の多くは、ほぼ形を残した状態のものでした。縁には灯心を燃やした際に付着した煤が付着しています。灯明皿

写真4 灯明皿出土状況

 

出土遺物

~平安時代の遺物~

緑釉陶器

 鉛を釉薬として用いた緑色の陶器です。当時は高級食器として扱われ、貴族や役人などの限られた人のみ使うことができました。生産地も近江や京都、東海など限られた場所でしか生産されていませんでした。緑釉陶器が出土したということは、近くで国府に関係する役人が生活をしていたのかもしれません。

 今回の発掘調査では椀や皿、三足盤などの器種が出土しました。特に三足盤は、色味やそのほかの特徴などから猿投窯(愛知県)で生産されたものと思われます。

緑釉陶器(三足盤)写真5 三足盤(上から)

 

三足盤(断面)写真6 三足盤(横から)突起部分は脚部。

 

須恵器

 古墳時代(5世紀前半)に朝鮮半島から日本に伝わり、平安時代まで使われた灰色の陶質土器。土師器とは異なり、登り窯を使い、約1,100度の高温で還元炎焼成されているため、硬くて丈夫といった特徴があります。平安時代には庶民から貴族にまで広く使われていました。椀や皿、壺、甕、杯、蓋などの日常雑器として使われていた器種のほか、硯などもあります。

須恵器(杯・蓋)写真7 須恵器(杯と蓋)

 

墨書土器

 墨で文字が書かれた土器を墨書土器といいます。墨書土器の多くは土地や人、役職、建物の場所の名前が書かれています。令和5年の発掘調査では、墨書土器が1点出土しています。しかし、破片での出土のため文字の判読はできませんでした。

 当時は文字を書くことのできたのは、寺関係の人や役人など限られた人だけだったため、発掘調査現場の近くでは、平安時代に役人が生活していたかもしれません。

墨書土器

写真8 墨書土器(※赤線の部分に墨で文字が書かれている。)亻(にんべん)の一部にもみえます。

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