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越前市の宝箱

更新日 2016年12月6日 情報発信元:秘書広報課

いにしえの歴史と文化が息づく・・・   自然に恵まれたまち、越前市 

越前市の位置・地勢

 越前市は、福井県の中央部に位置し、平成17年10月1日、旧武生市と旧今立町が合併して誕生しました。人口は85,648人(平成22年国勢調査速報値)で県人口の約10.6%を占めます。面積は230.70平方キロメートルで、県面積(4,188.99平方キロメートル)の5.5%を占めます。

 市は、南部に「越前富士」として親しまれている日野山があり、東部に越前中央山地、西部に丹生山地など、周囲を400~700m級の山々に囲まれ、森林面積は約6割を占めます。これら緑深い山々からは、県内三大河川のひとつである日野川をはじめ吉野瀬川、鞍谷川などが流れ、市域中央部に広がる武生盆地にうるおいを与えながら、やがて九頭竜川と合流して日本海へと注いでいます。
 気候は、夏は高温多湿、冬は降雪量が1mを越えることもある日本海特有の気候です。

歴史・沿革

 越前市の歴史は大変古く、今から1500年前頃(西暦500年頃)、のちの26代継体天皇が男大迹王(おおとのおう)としてこの地を治めていた時代にはもう拓けていました。 その後、「大化の改新」の頃に越の国の国府が置かれ、北陸地方の政治・経済・文化の中心地として栄えてきました。
 平安時代には、「源氏物語」の作者である紫式部が、越前国司として赴任した父とともに、生涯でただ一度、京都を離れ、多感な少女時代を過ごした地でもあります。

 中世の頃、越前市は北陸道や朝倉街道がはしる交通の要衝であったことから、新田義貞や斯波高経、織田信長など名だたる武将が争奪し合った魅力ある地でした。戦国時代には、織田信長の家臣である前田利家、佐々成政、不破光治の府中三人衆が越前を治め、現在もその時代を偲ばせるゆかりの史跡が数多く残っています。

 近世の府中(武生の旧称)は、越前松平藩の家老、本多氏(初代本多富)の城下町として栄え、旧今立の粟田部は地域物資の集散地(輸送ルートの拠点)として、商工業や町人文化が栄えました。

 近代に入ると渡辺洪基や土肥慶蔵など日本や世界に羽ばたいた逸材を輩出し、南越自由党が結成されるなど学問や思想面でも先進地域としての役割を担いました。また、与謝野鉄幹・晶子夫妻は、越前市味真野地区にあります、浄土真宗出雲路派本山毫攝寺法主との親交があり、昭和8年にこの地を訪れ、20首の歌を残しています。

モノづくりのまち

 越前市は昔からモノづくりが盛んな地域です。昔、大陸から日本海を渡ってきたモノをつくる技術がこの地域に根づき、今日でも、越前和紙、越前打刃物、越前箪笥などの伝統的工芸品の産地となっています。

 近年は、最先端技術を駆使して製造される電子・自動車・家電部品産業やニットアパレル産業などが盛んで、福井県下第一の製造品出荷額を誇る「ものづくり都市」として発展を続けています。

 越前市は、長い歴史と伝統文化が連綿と引き継がれ、また、先人の努力によって、日本の中でも住みよい都市の上位にランキングされています。 

まちのようす

 越前市は、歴史的遺産を継承した、古い町並や建物を活かしたまちづくりが進められています。街の中心部には、白壁の蔵が立ち並ぶ「蔵の辻」と呼ばれる一角があります。大正から昭和初期に建てられた木造の店舗や蔵を再生し、伝統的建設物を活かしたまちなみとなっています。また、寺町通りと呼ばれる京町界隈は、国分寺や総社大神宮をはじめとする、たくさんの由緒ある寺社仏閣や昔ながらの町屋が点在していて、その落ち着いた風情がほっと心を和ませてくれます。

 一方、市の西部地域には豊かな里地里山が残されており、希少野生生物も多く生息しているため、平成16年度に、環境省の「里地里山保全再生モデル地域」に選定されました。この地には、40年前にコウノトリが飛来したことがあり、地域の人達は、コウノトリが再び飛来することを夢見て、環境調和型農業や里地里山の保全再生に力を注いできました。

 昨年、その甲斐あって、兵庫県豊岡町で繁殖され放鳥されたコウノトリが、越前市に飛来して、107日間も滞在しました。越前市は、このコウノトリを「えっちゃん」と命名し住民票を交付しました。市では、40年ぶりに飛来したコウノトリが定着できる都市を目指し、「越前市コウノトリが舞う里づくり」を策定して、里地里山の保全再生や環境調和型農業を推進し、無農薬無化学肥料の「コウノトリ呼び戻す農法米」の生産等に力を注いでいます。

観光・名物

 「たけふ菊人形」は、昭和27年の初開催以来、今年で60回目の開催となります。毎年、北陸の秋の一大イベントとして親しまれていて、県内外から多くの観光客で賑わっています。約1万本の菊花や、テーマに沿って菊で飾った人形や造形物が見事です。紫式部公園は、3,000坪の広大な敷地に平安時代の寝殿造り庭園を再現した公園で、金箔で仕上げられた美しい紫式部像が立っています。

 謡曲「花筐(はながたみ)」の舞台として名高い花筐公園には、男大迹王(おおとのおう)後の第26代継体天皇)ゆかりの「薄墨桜」があり、春は桜、秋は紅葉の名所になっています。                                                            

 味真野は、万葉集にゆかりの深い場所です。越前の里味真野苑には代表的な相聞歌15首が歌碑に刻まれています。            

 伝統的工芸品を知る所として、和紙の里通りには紙すきができる「パピルス館」や「紙の文化博物館」、「卯立の工芸館」があります。また味真野の里の近くには、刃物づくりができる「タケフナイフビレッジ」などがあります。

 毎年5月3日~5日に和紙の里で催される「神と紙のまつり」は、紙祖神川上御前を祀る岡太神社の祭礼で、御神体をのせた神輿がまち中を練り歩く際に、若者たちが神輿を奪い合う、たいへん雄壮な祭りです。

 「越前そば」は、大根おろしとつゆを添えただけのおろしそばで、越前市を代表する名物です。また、白山すいかは、昼夜間の温度差が激しい丘陵地で栽培されるため糖度が高く、うま味がありシャリシャリの歯ざわりがあるのが特徴で、スイカのブランドとなっています。

 

 豊かな自然  古い伝統文化のまち  古い街なみ  モノづくりのまち  ゆかりの人物  とっておきの味覚  

 まつり・伝統行事 市勢要覧  映像で見る越前市 

 

豊かな自然

里地里山

 全国里地里山保全再生モデル地域に選定された西部地域では、環境省レッドデータブックの絶滅危惧IA類に挙がるアベサンショウウオの生息が確認され、良好な自然環境や希少野生生物の保全に取り組んでいます。
 また、里地里山の豊かな水や緑、生物を守り、国の特別天然記念物であるコウノトリの飛来を再び目指す取組みが進められています。

100選に選ばれています。  

  ・白山・坂口   ・大瀧神社   ・越前の里五箇地区  ・越前おろしそば  ・蔵の辻地区   ・蓑脇の時水

 

古い伝統文化のまち

日本海の要 越前の国府

 大化の改新の以前から、全国の国は大・上・中・下国の4クラスに分けられました。日本海側(北陸・山陰道)で「大国」は越前国だけです。中央政府は越前国を日本海側の中心に位置付け、国内外の護りからも越前国に期待していたことが伺われます。 

 『 いち 播(ばん)二越(にえち)-日本国語大辞典』 全国で、最も豊かで米のよくとれる国は、第一に播磨(はりま=兵庫県西部)、次に越前(福井県)である。越前国にやって来た国司の多くは、都に戻れば政治の中枢で活躍していることからも、重要な国であったことがわかります。武生には国分寺・総社・御霊神社等の建物、北府などの地名、府中城遺跡から出土した墨書土器「国寺」などの埋蔵文化財からも越前の国府は武生にあったことは確かであります。武生は日本海沿岸国の中心として、古代から中世にかけて政治・経済・文化・交通などの中心として栄えたのです。

 奈良時代の終わりから平安時代の初めにできたといわれる歌謡集「催馬楽(さいばら)」に「見知乃久知、太介乃己不」“道の口 武生の国府に 我はありと・・・・・”とあります。この歌からも越前の国府は越前市・武生にあったことがわかります。明治2年10月に、これから名をとって、中世・近世に使用してきた「府中」を「武生」と改称しました。                               

万葉集との関わり

 奈良時代に編纂されました「万葉集」には、天平10(738)年ころ味真野へ流された中臣宅守(なかとみのやかもり)と都に残された狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)との贈答歌63首が載せられています。二人の歌の内容から、相思相愛の仲が伝わってきます。越前の里味真野苑には「比翼の丘」が築かれ、「万葉まつり」を行ったり、県内外から「恋の歌」を募集するなどしています。遠い奈良時代の宅守と娘子の熱い思いにこころをはせ、現代人の心に潤いを取り戻せたら幸いアです。「万葉集」には大伴家持が越前の掾(じょ)大伴池主に贈った歌もあり、丹生の山や日野川が歌われています。奈良時代の日野川は叔羅川(しくらがわ)と呼ばれていたようです。

紫式部が住んだ町

 長徳2年(996)年、国司など地方官を任じる除目で、紫式部の父藤原為時は淡路守に任じられます。しかし、学者で漢詩人であった為時は淡路では自分の能力を発揮できないことを嘆いて天皇に哀訴し、越前の守に任じられます。越前の敦賀は中国人などが集る国際都市でしたから、越前であれば為時は力を発揮する場があったのです。越前に赴任する為時一行には娘の紫式部の姿もありました。「紫式部集」によりますと、平安京(京都)を出発した一行は大津で船に乗り、琵琶湖を南から北端の塩津に向かいます。塩津から陸路を愛発山・敦賀・木の芽峠・鹿蒜(かいる)を経由して越前の国府に入りました。式部の生涯でただ一度都を離れての生活は越前市だけでしたから、その経験は式部の生活に大きな影響を与えることになります。式部が暮らしたと考えられる国司館の位置は分かっていません。 

源氏物語の風景

 紫式部が父為時とともにこの地を訪れた時は20歳前後であったといわれています。越前の国府での1年余りの経験は、その後の式部に大きな影響を与えたと考えられ、源氏物語の中には、その体験が生かされていると考えられる「朝顔」の巻の雪山を作る場面、「蓬生」の越の白山、「浮舟」の武生の国府など、「紫式部集」に遺された越前ゆかりの歌と相通じる部分があります。

継体天皇ゆかりの地

 この地の王、男大迹(おおとの)王は『日本書紀』によりますと、近江(滋賀県)の国の彦主人王に嫁いだ丸岡の振姫(ふりひめ)との間に生まれました。ところが男大迹王誕生後ほどなく父王は亡くなります。途方にくれた母は男大迹王を連れて丸岡へ戻ります。男大迹王の実在を疑う人もいますが、振姫一族の勢力は丸岡・松岡・永平寺に分布する巨大な古墳群によって証明されますし、男大迹王の一族である三国氏が皇室と関わりのふかい「真人」姓を与えられていることから、男大迹王の存在は史実であったと言えるでしょう。

 成人した男大迹王は味真野地区を生活の拠点にしたのではいかと考えられます。男大迹王と照日の前のラブストーリー、謡曲「花筐」の舞台になったのが味真野地区です。そのためか、男大迹王(継体天皇)に関わる伝説もたくさんあり、成人した男大迹王は味真野地区を生活の拠点にしたのではないかと考えられます。世継ぎのない25代武烈天皇が亡くなり、男大迹王は507年、58歳の時に河内の国の樟葉宮で26代継体天皇に即位しました。

謡曲「花筐」(はながたみ)『愛の物語』

 謡曲『花筐』は、室町時代の世阿弥の作で、男大迹王(後の継体天皇)と照日の前の愛の物語です。
 今から千五百年昔、味真野で二人は仲むつまじく暮らしていましたが、25代武烈天皇が亡くなったので、次期天皇には越前国におられる応神天皇の孫で、人柄もいい男大迹王を迎えることになりました。急なことであったので王は、手紙と花かご(花筐)を形見として照日の前へ残し、都へ上られたのです。味真野に残された照日の前は泣き暮らす毎日でした。気が狂うほどに王への思いは募るばかりです。そうするうちに照る日の前は形見の花筐を持って、遠い遠い都へ向かうのです。

 都に上った王は26代継体天皇となります。あるのどかな秋の日、天皇は大勢の供を連れて紅葉狩りに出かけました。その時、花筐を抱いた女性に出会います。味真野から照日の前です。彼女は天皇の前で花筐を持って美しく舞います。天皇は照日の前との再開を喜び、彼女の健気な心にうたれます。その後、天皇と照日の前は味真野での生活と同じように、都でも仲良く幸せに暮らしたのでした。

府中三人衆(前田利家・佐々成政・不破光治)

 戦国時代には、織田信長の家臣である前田利家・佐々成政・不破光治の府中三人衆が越前を治め、現在もその時代を偲ばせるゆかりの史跡が数多く残っています。

与謝野鉄幹・晶子

 与謝野鉄幹・晶子夫妻は、浄土真宗出雲路派本山毫攝寺(越前市清水頭町)法主と親交があり、昭和8年にこの地を訪れ、20数首の歌を残しています。 

いわさきちひろ(絵本画家 1918~1974)

 独特の水彩画の技法で、生命感あふれる子ども像を多く描いた絵本画家いわさきちひろは、越前市(旧武生市)で生まれました。、

 

古い街なみ

京町(きょうまち)

 寺町通りと呼ばれる京町界隈は、国分寺や総社大神宮をはじめとするたくさんの由緒ある寺社仏閣や昔ながらの町屋が点在し、落ち着いた風情を感じさせてくれます。

蔵の辻(くらのつじ)

 街の中心部には、白壁の蔵が立ち並ぶ「蔵の辻」と呼ばれる一角があります。市街地活性化の一環として整備され、大正から昭和初期に建てられた木造の店舗や蔵を再生し、伝統的建築物を活かしたまちなみとなっています。

五箇(ごか) 紙漉きの里

 高級手すき和紙の産地として和紙業者が軒を並べる五箇(ごか)地区では、全国で唯一の紙祖神を祀る紙祖神岡太神社と大滝神社を中心に、今も昔ながらのたたずまいを見せています。

 

モノづくりのまち

越前和紙(えちぜんわし)

 手漉き和紙では、日本一のシュアを誇る越前和紙の歴史は古く、日本に紙が伝えられたといわれる6・7世紀頃には、すでにすぐれた紙を漉いていたことがうかがえます。奈良の正倉院には西暦730年の年号を記した越前和紙が保管されています。

越前打刃物(えちぜんうちはもの)

 越前打刃物は、1337年に京都の刀匠千代鶴国安が、名剣を鍛える水を求めて旅の途中、この地に留まり、そのかたわら近郷の農民のために鎌を作ったことが始まりといわれています。

越前指物(えちぜんさしもの)

 指物は、釘を使わずに板と板、板と棒、棒と棒を組み、指し合わせる仕事や、その技法を使って造られた箪笥や什器、調度品、建具などの製品をいいます。
 幕末から明治初期に旦那衆の家に出入りしていた指物師が始めたとされ、木材の特性を生かした組子らんま、建具などがあり高い技術水準を誇っています。

製造品出荷額福井県第一位

 最先端技術を駆使して製造される電子・自動車・家電部品産業やニットアパレル産業などが盛んで、県下第一位の製造品出荷額を誇ります。

 

ゆかりの人物

 ・本多富正(ほんだ とみまさ) ・松井耕雪(まつい こうせつ) ・本多副元(ほんだ すけもと)
 ・渡邊洪基(わたなべ こうき) ・栗塚省吾(くりづか せいご) ・斎藤修一郎(さいとう しゅういちろう)
 ・町村金弥(まちむら きんや) ・土肥慶蔵(どひ けいぞう) ・三田村甚三郎(みたむら じんざぶろう)
 ・市川新松(いちかわ しんまつ) ・望月信享(もちづき しんこう) ・秋山徳蔵(あきやま とくぞう)
 ・岩崎文江(いわさき ふみえ) ・いわさき ちひろ(いわさきちひろ) ・若泉 敬(わかいずみ けい)

  
 ・加古里子(かこ さとし) ・池上遼一(いけがみ りょういち) ・俵 万智(たわら まち)  

 

とっておきの味覚

越前そば

 越前そばといえば、大根おろしとつゆを添えただけのおろしそばで、越前を代表する名物です。

白山スイカ(しらやますいか)

 昼夜間の温度差が激しい丘陵地で栽培されるため糖度が高く、シャリシャリの歯ざわりがあるのが特徴です。

コウノトリ呼び戻す農法米

 本市にコウノトリが再び飛来することを願い、福井県認証特別栽培技術により、白山地区において完全無農薬無化学肥料で栽培されたコシヒカリです。

 

まつり・伝統行事

まつりと伝統行事

 長い歴史の中で育まれた伝統に是非触れてみてください。 

たけふ菊人形

 昭和27年(1952年)の開催以来、北陸の秋の一大イベントとして親しまれています。1万本の菊花や菊人形が華やかに会場を彩ります。

たけふ菊人形の歴史
映像で見る越前市 映像で見る越前市(動画形式(WMV):42,167KB) 

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