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●越前府中二十一人衆 前田利家が尾張荒子(あらこ)領主になったおり、利家に仕えた最古参の家臣のことを一般に「荒子衆」と呼び、新領越前府中で召抱えていた家臣を「府中衆」と呼んでいます。両者はともに利家譜代の家臣として利家の信頼も厚く「本座者(ほんざもの)」に位置付けられ、のちに付き従う「新座者(しんざもの)」と区別されました。利家の府中時代の家臣団を記した「天正三年越前府中侍帳」には、1000石から70石までの知行高と人名が、「越前府中二十一人衆」として列挙されています。二十一人衆の中には、前田安勝(利家の3番目の兄)、前田秀継(同末弟)、青山吉次(同姪婿(めいむこ))、高畠定吉(同妹婿)など利家の一門をはじめ、これに次いで村井長頼といった利家近侍(きんじ)の荒子衆、ほかにも府中で召抱えたと思われる人名も見られます。また、この時期の家臣団には三輪・山崎氏など朝倉氏の旧臣も多く加わったといわれています。利家が天正3年(1575)に越前府中で大名となり、さらに天正9年(1581)には移封によって能登一国を与えられ、家臣の数も増加しましたが、府中二十一人衆を主軸に前田氏家臣団の基礎は府中時代に確立したといえるでしょう。