越前府中・前田利家紀行「戦国武将のゆかりの地をたずねて」
前田利家(まえだとしいえ)

前田利家坐像(c)宝円寺所蔵 前田利家は、織田信長の赤母衣衆(あかほろしゅう)の筆頭となり、永禄12年(1569)に兄利久にかわって家督を継いで荒子城主となりました。この時、利家は前田家の旧領と合わせて2450貫を領しました。その後の戦功で知行が加増されたと考えられますが、確かなことはわかりません。利家は元亀元年(1570)の本願寺衆徒との戦いにおいて、春日井堤で奮戦した功により、近江国長浜に1万石を与えられたとの一説がありますが確証はありません。一般的には天正3年(1575)9月に織田信長によって越前の国割が行われ、「府中辺二郡」十万石が前田利家・佐々成政・不破光治の府中三人衆に与えられたことをもって、利家が大名になった最初と解されています。給地については、3人が十万石を均分して知行し、序列上の差もほとんどなかったと考えられています。利家は、府中城の築城事業、家臣団の充実、検地や刀狩、さらに一揆衆の鎮圧を行うなどして、領地を支配しました。
関連寺院・史跡・その他
府中三人衆年表
府中城跡
利家が拠(よ)ったとされる府中城は、朝倉氏の府中奉行所が前身といわれ、その位置は現在の越前市役所一帯に比定されています。
宝円寺
前田利家は府中時代に高瀬村(越前市高瀬)の宝円寺の住持大透圭徐(だいとうけいじょ)に帰依し、当寺を外護(げご)再興したといわれています。
越前の里万葉館(文字瓦)
利家が千人ばかりの一揆衆を生け捕り、かれらを厳しく弾圧した様子が8行にわたって刻まれています。
大文字屋跡
利家が府中在城のころ、寿福院(加賀藩3代藩主利常の生母)の妹を娶(めと)り、文室(ふむろ)金山支配の御用を勤めていたなど、利家との関係が記されています。