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越前市府中一丁目 (越前市役所) 越前府中に着任当初の前田利家は、龍門寺城や朝倉氏の府中奉行所などを居館としていたともいわれています。利家が拠(よ)ったとされる府中城は、この朝倉氏の府中奉行所が前身といわれ、その位置は現在の越前市役所一帯に比定されています。寛文5年(1665)の「惣社大神宮縁起(そうじゃえんぎ)」には、天正年間に利家が府中城を築城する際、城域に社地がかかることを恐れて、総社を北西に約300メートル隔てた現在地に移したとあります。利家による府中城の築城事業は大規模なものだったと思われますが、次代に引き継がれていく城郭の基礎は、この時に築かれていたのかも知れません。また、府中城は慶長6年(1601)の本多富正の入府によって、さらに整備拡張されたことにより城郭の規模も一変したと考えられます。なお、利家の府中在城期間は、天正3年(1575)9月から、能登一国の大名となる天正9年(1581)10月までの約6年間とみられています。その間、摂津国有岡の城主荒木村重が本願寺勢力と結び信長に背いた時、利家はこれを鎮めるために播磨などに出陣しました。利家が能登に封じられた後、長子の利長(利勝)は府中に領地をあてがわれ府中城に入りました。府中城は、天正11年(1583)4月、賤ヶ岳(しずがだけ)の合戦で敗走する柴田勝家を追った羽柴秀吉を利家が迎えた城としても知られています。 現在、府中城の遺構は見られず、市役所玄関前に「越府城址」の石碑があるのみで、往時の様子をうかがい知ることはできません。
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